かわさき市民活動ポータルサイト

応援ナビかわさき

【コラム】2026年9月 冒険の書 第3章“なぜ大人は勉強しろと言うの?”

活動報告概要

2026年9月の竹内先生のコラム(お手紙)です。
竹内先生の自筆版はPDFファイルを参照下さい。

— 以下テキスト版 —
冒険の書 第3章“なぜ大人は勉強しろと言うの?”
 学びは本来自由なものであり、好きに学んでいいはず。しかし、それは学校が許してくれない。それどころか「勉強しろ」と言っている。なぜ「勉強」をしないといけないのだろう。なぜ大人は「勉強しなさい」と言うのか「勉強しておかないと後でまずいことになる。」その「まずいこと」って、いったいなんなのだろう。」と問題提起をしている。
 そして「子どもたちはこぞって、学校や塾に通わせられている。親たちはみな「学力を高めるために必要だから」と言う。でも、そもそも「学力」や「能力」ってなんだろう。…そしてその「能力信仰」は「子どもは守られるべき、かわいい存在だ」という信仰と同様に、たいへん強い信仰だと僕は感じます。「勉強」とは、まさに、この「能力」を高めるために行う活動に他なりません。多くの人々が「能力を高めることこそが幸せになる唯一の道だ」と信じ「がんばって勉強して、学力を高めれば、きっといつか報われて、幸せになれる」という教えにすがるように生きています。大人は子どもたちに「勉強して、能力を高めると、きっといいことがある。」と希望を持たせ、「能力を高めないと、社会から脱落してしまう?」と脅し、「とにかく勉強しないと!!」と、頭ごなしに無理やり勉強を押しつけます。…そういう社会のリクエストを受け、学校は生徒に「能力」を身につけさせる訓練所になっています。…子どもたちはというと、ただ「いい学校に進学する」という目標に向かって、ひたすら勉強させられることになり、」「なんのために勉強するのと言われてよくわからない」…今では「いい大学に入ること」そのものが勉強の目的になっていると指摘しています。
 つまり、学校は「すべては自己責任だとする格差社会をつくりだすのに一役買っている」ということです。そして「格差や不平等が生まれるのは、しょうがない」と、人々が物理的にも心理的にも追い込まれた結果、(今の学校は)むしろ好きなことを探求する機会がごっそり奮われてしまう結果になっていると指摘しています。…(私も同感です。知識ではなく、ヘーえと思える感動や気づき、体験驚き発見は、自からこれをやりたいと、自分の好きなことを見つける、自然を見る目、心を育てることです。とくに小さいうちは当り前を疑ってみる心、知識ではなく。知識は覚えても必要なくなれば忘れてしまう。子どもの好きなこと思いを大切にすることだと、私も思っています。)
 そして、今の社会はその人の持つ能力によって決まるメリトクラシーの社会であるとしてい ます。そして、メリトクラシーの要素とは3つの要素からなると説明しています。
 ひとつ目は「人がどの職業につくかは、どこの生まれか、家が金持ちかということによって差別されるのではなく、能力や努力に応じて誰でも出生できる」という考えです。(つまり能力主義の社会)、2つ目は「人それぞれの能力にあった教育の環境や機会平等」をコンセプトにするこれだけを見ると平等が前面に打ち出されているように思いますが、その裏には「より高い能力を持っている人により優れた教育を与える」という目的があります。3つ目は「業績」をとりわけ重視することです。私たちの社会では人々の地位と報酬などで格差があります。メリトクラシーでは「業績の差だけでなく格差を認めてもいい」という考え方です。「機会の平等」「能力別学習」「実績重視」という3つでできたメリトクラシー 。すなわち、「機会の平等」「能力別学習」「実績重視」という3つでできたメリトクラシーは、 実績で地位や報酬が決まる平等主義が世界中に広がっていますと…
 そして最後の質問に答えています。
 Q1.どうして「学力」を高めないといけないの?なぜ大人は勉強しろというの?
 子どもがつまらない形で学力を高めなければならない理由、それは親が子どもに親がそう子どもに求めるからです。その裏側には、「能力」という概念があり能力を高めないと自分の子どもが一人前にならないという親の思い込みがあります。つまり「能力を高めれば幸せになれる」という能力信仰こそが、学力を高めないといけない大きな原因だったのです。その能力信仰を、ゆるぎない役割を果しているのが、他でもない学校だったのです。子どとたちの能力を高めるために必死に勉強することを強いられるようになり「子どもたちを保護し、すべての子どもたちに自由で平等な教育の機会を提示する」という理念がむしろ人々に自己責任を問い格差や不平等があってもしかたないと見れた自由な学びの機会を奪うようになりました。
 Q2.どうして、子どもは夢中なまま、大人になっていくことができないのか?
 このような状況が変わらない根本には「能力によって人間の地位が決まる」と考える現代社会の基本原理「メリトクラシー」があることをつきとめます。メリトクラシーには大きな問題があります。それは「できない人たちがどんどんドロップアウトし社会からどんどん分断されてしまう」という問題です。メリトクラシーは「人々に脱落する人は努力が足りないのだからしかたない」と自己責任を強いる性質を持っていて、表面を改善したくらいで社会の分断を解決できないという現実があります。能力信仰と自己責任がメリトクラシーを形成し、それが人々の分断、不幸に追いやっていることが分りました。そして学校はその信仰を強化し、その結果、学校での勉強をつまらなくしているのだということが分りましたと。…
 このことをどう考えたらよいのだろうか、次の4章5章で書かれています。
 次回も楽しみに読んでいただけたらうれしいいです!!
2026年8月 竹内春雄

竹内先生のコラム 2026年9月.pdf