【まなざしの先に】
第2話:「そんなつもりはなかったのに…」— 見えていなかった“わたし”の贈りもの
~ジョハリの窓にそっと灯る気づき~
今日の“まなざしの先”には、自分では気づかないまま、そっと誰かの支えになっている姿がありました。
このコラムでは、日々の活動や地域での出会い、読書や小さな気づきを「まなざしの先に」映る風景として綴っています。
—
◆ある日のエピソード
「わたしなんかに、ボランティアなんてできないですよ」
そう笑いながら語ったその方は、みんなのひろばにそっと穏やかな空気を運んでくれる存在でした。
ある日、その方がふいにこう声をかけてくれました。
「この前○○のお店の前で転んでいた人がいたんだけど、もしかしてあの方、ひろばによく来てる方じゃないかなと思って…」
「昨日、駅の近くでちょっと顔色が悪そうな方を見かけたんだけど、気になって…」
それはまるで、静かにあたりを照らす灯りのようでした。
さりげない見守りのまなざし。
誰かを「気にしている」ということが、
地域の包括支援センターやケアマネジャーさんへと、そっと橋をかけていく――
そんなつながりの始まりになるのです。
でもご本人は、「そんなの、大したことじゃないですから」と照れくさそうに笑います。
私はその姿を見ながら、ふと思い出しました。
――ジョハリの窓。
他人には見えていて、自分ではまだ気づいていない「盲点の自分」。
このやさしさも、静かな存在感も、
きっとその窓に宿っている、本人がまだ気づいていないギフトなんだ――
そう感じたのです。
「あなたのひとことが、誰かの安心にちゃんとつながっているんですよ」
そうお伝えすると、「そんなつもりはなかったんだけどね」と、また照れながら笑ってくれました。
“つもりがない”ところにこそ、ほんものの思いやりが宿っている。
そのことに、私はまた胸を打たれました。
—
◆おわりに
見守る、気にかける、声にする――
そのどれもが、静かに地域を照らす光になっている。
まなざしの先には、
まだ自分でも知らない“やさしさ”が、そっと花を咲かせていました。
次回もまた、まなざしの先で見つけた風景をお届けします。
—
*
ジョハリの窓とは?
自分を理解するための4つの「窓」で心の領域を表した心理学モデルです。
開放の窓:自分も他人も知っている部分
盲点の窓:他人は知っているけれど、自分では気づいていない部分
隠された窓:自分は知っているけれど、他人には見せていない部分
未知の窓:自分も他人もまだ知らない、眠っている可能性
このお話に出てきたのは、
自分では気づいていなくても、他者には自然と伝わっている“やさしさ”や“影響力”。
それが宿る場所――
それこそが、**「盲点の窓」**なのです。