【コラム】2025年11月 子どもの声を聴くとは
2025年11月の竹内先生のコラム(お手紙)です。
竹内先生の自筆版はPDFファイルを参照下さい。
— 以下テキスト版 —
子どもの声を聴くとは
前回、広木先生の講演の抜粋を書きましたが、その後の質問の応答について「ひだまり」のニュースに載っていました。その質問に広木先生が答えたことのいくつかを取り上げて紹介します。
先ほどのHSCについての質問では『HSCの子どもが学校で苦しさを感じてしまう、そう感じてしまう自分を責めて不登校になるケースがとても多いように感じていますが、その子どもに親はどんなサポートをしていったらよいのでしょうが』と書いてあるんです。何かをしてあげることは大事なことなのですけど、私は何かをしてあげるというよりも『子どもが何をして欲しいかを知る』ということが一番大事だと思います。
子どもの願い、子どもの要求、また、何が嫌なのかをちゃんと子どもから聴く。そこを聴かずに、親の善意でしてあげるのは、むしろ子どもの経験を狭めることです。子どもの経験を少しずつ広げていくためには、子どもが 「やりたい」「これはしない」という子どもの願いをちゃんと聴いて、それを共感的に理解し、実現するサポートをする。これが基本だと思います。
子どもの話をちゃんと聴くというのは、なかなか難しいことです。それがこのケースの相談というわけではないのですけれども、それは共通の問題だと思います。多くの例は、親は自分の『聞きたいこと』を聞くのです。今日は、どうだった。何があったのと自分の知りたいことは聴いているのです。ところが、子どもが「そこでね…………」と言い始める時、親の方は知りたいことは知ったと、もう満腹で、話そうとする子どもの心の中にはもう関心が離れるのです。すると子どもは“あっお母さん聴く気がないんだ”と思って話すのをあきらめるのです。それは親が悪いというより、親が忙し過ぎることによります。自分の聞きたいこと優先ではなくて『子どもが話したいことを聴くこと』をやってみてください。苦しくなると思います。なぜなら自分の知りたいことを知って「終ったら」と思った後だからです。子どもが言いたいことを話していると、子どもの話が「早く終らないかな」と思えてきます。そして、また『助言と忠告の虫』がざわざわと騒ぎ始めるのです。子どもの話に言わなくてもいいのに、「でもね、お母さんはこう思うの」「そんな時はこうするといいよ ・・・」と子どもがたずねていない忠告が始まるのです。子どもは「あっ始じまった」「ただ私の気持ちを聴いて欲しいのに」とズレが起きるのです。だから『最後まで聴く』ということは『聴いて終ったら終り』なのです。その時「話してくれてありがとう」と言えたら子どもは心がスカーッとします。
よく「思春期になったから、全然話さなくなった。」という話がありますがそれは「話さないようにしたのではないか」と振り返ってみませんか。
聴くことに努めていても、少しすると、また『助言と忠告の虫』が出てきて「子どもから、お母さんは、また戻った。広木先生の所にもう一度行ってこいと言われたのですが」と親からの電話です。子どもってすごいですね。ちゃんと聴いているか、助言・忠告の虫になっているか聴き分けるのです。それで私は「お母さんは本当に真面目で、この努力は素晴らしいと思う。最後まで話を聴いて、そこでありがとうで終る。そして、その時にたまったストレスは親の会に行って、他の人に聴いてもらいましょう」と伝えました。
私はこの特に敏感なHSCというふうに言われている、私にしてみれば普通の子ですけど、そういう子どもたちも含め、子どもの話を聴く。そして、子どもの願いを受け止める。そこで終わり、「どうもありがとう」ってそれがだいじだと思っています。また、それと同じようなお話を参加者から聞きました。『子どもが“ママのことを死じゃえって思っちゃう。言いたくないのに思っちゃうの。苦しい。そういう自分が嫌いだ”と言い始めたことが私が娘の苦しみに気づいたきっかけでした。それから毎日何回も言ってきて、私も苦しいです。昨日、初めてカウセリングを受けました。そうしたら、病院に行って欲しいと言われました』 この話、本当に正直に書いてくれました。このケース。私はまず「ママのこと死じゃえって思っちゃう」と自分の思ったことを言ってくれたことが、すごいことだと思います。それくらい実は子どもたちっていうのは、親のことを思っていて、言いたいことがあっても内にためているのですよ。そして、だんだん言わなくなるのです。でも、このケースは言ってくれているのです。私としては、その言葉自体はトゲのような言葉だから、聴くのはとてもつらいだろうけど「そうだったの」と正直に言ってくれたことに対して「何を反省したらいい。考えてみるね」「わかったことがあったら教えてね」という。この姿勢を貫くことができるかどうかだと思います。親の『助言と忠告の虫』が騒いでしまい、言われた子どもは苦しくなって、このような言葉を親にする。それはあり得ることです。その言葉を聴くのは辛いけど「話してくれてありがとう」「何を改めたらいいか教えてね。」とこれを貫くことではないかと思います。これは生きる姿勢・子どもとの関係です。この関係をどう変えるかということです。それは、「子どもに 変われ」ということではなく、「自分が変わる」そのことによって関係が変わるのです。・・・と広木先生は話しています。
2025年10月 竹内春雄
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