
2026年8月の竹内先生のコラム(お手紙)です。
竹内先生の自筆版はPDFファイルを参照下さい。
— 以下テキスト版 —
冒険の書 第2章(なんで学校に行くんだっけ?)
「学びは本来、自分の好きなように行える自由な活動であるはずなのに学校はそれを『教わる』という受け身の活動に変えてしまいます。そして人々に『ちゃんとした勉強をするためには、きちんとした教育の制度と専門家が必要だ』と思い込ませるのです。」・・・・と。そして続けて、「人は学校でしか学べないわけでありません。にもかかわらず多くの人が『学校でしか学べない』と信じてしまっていることをそら恐ろしく感じます。ことさらに学校教育が大事だと言う人たちは学校の外で自分が学んだことがないとでもいうのでしょうか・・・・と、そして続けて「学びは本来、個人の自由な活動であるはずなのに、学校はそれを「教わる」という受け身の活動に変えてしまう・・・・と。⦅私も同感です。学ぶということは、知識ではなく、自らがえーとと思える、感じる、考えることです。感じることです。感動や気づき、体験や驚き、そして発見から、自らこれをやりたいと自分の好きなことを見つけることです。自然を見る目、感じる心を育てることです。とくに小さいうちは、アレ、どうしてと当り前を疑ってみる心を大切にすることです。知識はいくら覚えても、必要がなくなれば忘れてしまうのですが、自分の好きなこと遊んでいるなかで感じたことはその後、心の中にずっと残るのです。そんな子どもたちは昆虫博士 や魚博士になっていきます。⦆・・・・
また本にもどります。
「つまり、遊びと学びは、ともにシームレスにつながっているのに、近代以降「遊び」と「学び」は、まったく別ものとして区別されました。そして、それは「学び」を貧しいものにしてしまったという気がしてなりません。逆に言えば「遊び」が持つ素晴らしい可能性がしぼんでしまったとも言えます」と。⦅私もそう思います。そして、その理由を三つ挙げています。⦆
ひとつ目は、社会における「遊び」と「働き」の区別だと。社会の工業化が進むと人々は労働者として雇われ、あくせく、働くことだけが「仕事」だと、区別するようになり、その結果、人々は生活することで頭がいっぱいで「遊んでなんかいられない」ようになりました。⦅親の子どもを見る心が遊んでばかりでは仕事ができなくなると⦆
2つ目は、学校における「遊び」と「学び」の区別、休み時間は遊んでもよいがそれ以外は勉強と、遊びと学びは真っ二つにわけられてしまったこと。
3つ目「自ら進んでする遊び」と「受身の遊び」の区別です。「遊び」が「仕事」「勉強」 の反対語となった結果、大人は仕事に、子どもは勉強にと反対語になった。
子どもの世界では、遊びと学びに区別はありません。遊びの中で学んでいて、学びは遊び心から生じています。それが歳を重ね学校へ行けば行くほど学びと遊びが区別され、遊びや創造の自由はどんどん減っていきます。遊びは『ヒマつぶし』であり、『こからなにかを学ぼう』などという気は起りませんと。・・・・「学び」から「遊び」がなくなり、つまらない「勉強」になった。「働き」も「遊び」と分けられ、つまらない「仕事」になった⦅と書いていますが私も同感です。そして学びは点数化で比べ られ、さらに点数のための勉強が子どもたちにのしかかっているのではと思うのです。遊んではいられない子どもたちです。⦆
そして次のようにまとめています。
「AかBか」のような分け方で物事を見るのは、ひとつの基準だけで物事を判断するということに他なりません。そうではなく、僕は子ども大人もなく、健常者も障害者もなく、ただ「社会にはいろいろな個性を持ったいろいろな人がいる」という前提に社会のすべてをつくり直していけばいいと思います。つまり、子どもの見方を変えるところから始めればいいということです。「子どもあつかいをしない」のは、もちろんのこと、人間にあるのは、一人ひとりの個性だけで、ただそれを愛でるだけでいい。そして同じ分野に興味や好奇心を持つ人たちが、好き好きで集まって、一緒に学ぶ多様な場があればいい。今必要なのは、そういう学びの場だと思うのです。子どもを見つめるまなざしを変えることができた時「学び」は再び「遊び」に戻ることができます。学びはおもしろさを取り戻すことができるのだと思うのです。・・・・とまとめています。
そして、どうして「遊び」と「学び」を区別する考えが浸透したのかという質問につまらない勉強を強制される学校は、ストレスの多い環境になりやすく、いじめ不登校を生み出す温床となっています。この状況は深刻化するばかり、学校最大の問題です。 学校の勉強がつまらない理由、それは「学び」から「遊び」を切り離されてしまったからだ。・・・・と答えています。
⦅私も同感です。知識だけではなく、子どもたちが、ヘーェと思える。感動や気づき、体験や驚きや発見を大切にすることだと思うのです。 自から、これをやりたい、自分の好きなことを見つける。そんな自然を見る目、心を育てる、学習の工夫が必要だと思うのです。遊ぶことは学ぶことです。遊ぶことは学ぶことです。今まで知らなかった新たな発見、子どもたちの自から学ぼうとする心を育てるのだと思うのです。遊びの中からの気づき発見は自らの冒険への旅に導びきます。知識を覚えるだけの勉強は必要がなくなれば忘れてしまいます。遊びと学びはひとつのものだと思うのです。 そんなことを考えた第2章でした。⦆
次回は第3章の紹介をします。
2026年7月 竹内春雄
竹内先生のコラム 2026年8月.pdf