2025年8月の竹内先生のコラム(お手紙)です。
竹内先生の自筆版はPDFファイルを参照下さい。
『雲の向こうはいつも青空』
表題は“びーんずネット”の金子さんが年に何冊が発行しているインタビュー集の冊子のタイトルです。全国の不登校の子どもや親にインタビューして毎回7~8実例を載せた冊子を発行しています。
今回はその最新刊の中から、かつては子どもたちを支配・操縦することが得意な「日本型パワー教員」だったと自らを振り返える渡部さんにご自身のこれまでと転機となった次女の不登校の体験をうかがったとする体験談を取り上げました。
『次女はすごく明るい子で本当にニコニコしていた子だったんです。ただ小学校高学年ぐらいから笑顔が少なくなって、学校へ行きにくくなって、中学校一年生の秋かな? まったく行かなくなったのは。』『その頃、渡部さんは、娘の通っていた中学の隣の中学で娘と小学校で同級だった子どもの担任をしていたんです。』『それこそ日本型パワー教員で子どもたちを支配して、言うことを聞かせて頑張らせる。勉強をさせて進学させることが教育で自分はそれが得意だと思っていたんですよね。今思えば人権侵害なんかたくさんあったと思っています。「不登校は俺に任せとけ」みたいな気持ちもあったし、「俺はできる教員だ」みたいな、とんでもない勘違いをしていたころでした。』と渡部さんは語っています。
そんな指導力がある先生だと思っていたので、自分の娘が不登校になったとき、受け入れられなかった。他の教員と不登校の生徒の話をするのはイヤだったし、生徒指導の職員会議で、不登校の子の指導のことが話題になるのが本当にイヤで仕方がなかった。しんどかったです。娘が不登校になったことをなかなか受け入れることができなかった。二つめの苦しみは、「あきらめよう、この子は、自分の思い通りにならない」ということを自分の中に落とし込むときでした。子どもが「やりたい」ということをリスク覚悟で受け入れていこう。何があっても、この子はなんとかなると‘信じよう’その境地になるまでの葛藤です。「だってそれまでの僕だったらそんな親がいたら「お母さん何を考えているんですか、そんなの親の養育の責任を放棄していることですよって、教員として言っていましたから。
そして、娘が中2のとき「ニュージランドに行きたい」って言いだしたのです。娘は学校には行っていないけど英語が好きで、一人で英語は勉強はしていたんです。親として悩みました。一人で行かせていいのかって。そこで、カミさんと話したのは、もうあきらめよう、自分たちがこうさせたいとか、こうしてほしいというのはあきらめるしかないよねと話し合ったのを覚えています。子どもをあきらめるんじゃなくて、自分の親としての子どもへの欲をあきらめようと。清水の舞台から飛びおりるような気持ちで。ニュージランドにいる娘からは「すごく楽しい」って連絡もあって、そのまま、ハイスクールに移ろうと計画したのですがビザが下りなかったんです。摂食障害、健康上の理由で帰ってきたんです。そして、大阪でひとり暮しを始め高卒認定試験の勉強をするサポート校に入ったのですが、それが娘にはピッタリあったようです。
渡部さんは校長になりましたが、2年を残して退職して、不登校の親子のサポートをする活動を始めました。娘が不登校になって違う生き方を始めて、要は中学校なんか行かなくても立派になれると思った。その頃から、考えるようになったんですと。
自分のやってきたことと、重なっちゃうのですが、子どもたちを支配してコントロールして、つらいことがあっても、がむしゃらに頑張らせる。「負けてどうするんだ」「社会に出たらもっと苦しいことがあるぞ」「そんなことで弱音を吐いてどうするんだ。」—-そうやって鞭を打って、中学校の中ではそれが「よく頑張った」というストーリーで終るけど、今はそういう時代ではない。彼らの苦しんでいることを僕らが鞭を打ったところで頑張れるようなものじゃないんだろう。結局頑張れ、頑張れというけど、「苦しさからどうやって逃げるのか」を教えてやれなかった。たとえて言うなら、エベレストに登るとき、天候が悪くなっ た。でも、僕らがやってきた「教育」は「関係ない」だったんですよ。本来行っちゃダメじゃないですか。ベースキャンプに戻って、天候が回復するのを待つとか、あるいは別なルートを選ぶとか、そういうことを考えて正しい判断をしなきゃいけないのに。
でも学校はそんなことを考えさせる前に「前に進め」と「先に進めば何とかなる」と主張していた気がするんですと。そして、渡部さんが校長になり、とにかく、子どもたちを支配したり、 操縦する教育をやめようとして、いろいろな取り組みを3年間したんです。…
たとえば校則をやめる。具体的に言うと、女子のスカート丈は膝が見えてはいけませんという校則なぜ?膝が見えたら何か、何が問題が起きるのか?教員に聞くけど、理由は言えない。最終的に出てくるのは、「中学生らしさから」という答え、13才から15才までの限定の「らしさ」ってなんですか。それを誰一人答えられないんです。それでも、日々話し合っていく中で、教員も変っていき、支配と操縦をやめて、子どもたちと接していくという変化が出てくるのです。生徒会の行事も、教員ベースの指導していくのをやめるんです。子どもがやりたいことをやらせようと。そうすると、子どもたちも楽しくなって、そこに向き合う教員も生えてくるのです。僕もすごくうれしかったです。でも教員も異動で他の学校に行くと以前と同じことになっちゃうのです。
それは、今の中学校だけではなく小学校も同じことが言えそうです。とにかく、いい成績をとっていい中学校へできれば中高一貫校へ。そして、有名な大学へという道。それは、子どもにとって本当によいことなのでしょうか。今、小学校の低学年の不登校が増えています。いじめも増えています。よい成績の一本道はどの子にとってもストレスが留っていきます。そのイライラはずっと続くのです。成績をあげる道ではなく、子どもがやりたいことをやらせてあげる学校なら子どもたちも楽しくなって、それに向き合う教員も楽しくなるのではと、そんな学校なら、子どもたちも喜こんで学校へ行くのではと思っています。残念ながら今学校はそうではなく、不登校は増える一方に進んでいます。改めて学校とはと考えていく必要があると思っています。
2025年7月末 竹内
竹内先生のコラム 2025年8月pdf