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【コラム】2025年5月 増え続ける不登校止まらないのはどうして?

活動報告概要

2025年5月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
 
竹内先生のコラム 2025年5月
— 以下テキスト版 —
増え続ける不登校止まらないのはどうして?
 皆さんも御存じのように不登校は今も増え続け現在、34万5千人(高校を含めると42万人)と言われています。なぜ毎年増え続ているのでしょうか。その訳を問うこともなく、文科省は、不登校の要因として子どもの無気力、無関心、家庭の関わり、学校の対応、先生の対応として調査を行い発表しています。そして毎年変わらず無気力、無関心な子どもが圧倒的で、学校や先生に起因するのはほんの数パーセントとしています。学校のシステムや先生の対応教え方に起因するのではなく、子どもの無気力や、やる気が弱いことに起因していると毎年報告をしています。でも、私は学校へ行かなくてもいいと思っている子は1人もいないと思っています。子どもが安心して楽しく暮せるような工夫を学校や先生はしているのでしょうか。先日、新聞で以前に増して、いじめが増えているという記事が載っていました。しかも、小学校低学年でも増えているとありました。これは今、低学年の不登校が増えているという状況とも重なっていると思います。たのしいはずの学校がそうではなくなっているということです。今改めて子どもにとって、学校は楽しい所だよという工夫や知恵を出し合う時だと思うのです。
 ですが、つい最近文科省が不登校の小中生に寄り添う学習計画なるものを発表しました。(2025年4月1日付朝日新聞)、具体的には、全国に58校ある「学びの多様化学校」(不登校の子どもを対象とした学校)また、校内支援センター(学校内に不登校専用の教室を設置したもの)。川崎やさいたま市は全校にあるとのことですが地方ではまだ整備されていない。そして、そこに来た児童について個別指導計画を1人ひとりに作成し、通常より授業時数を減らし、「学び直し」の適切な見直しと評価ができるようにする。そして学級で授業を受ける子どもとは同列ではなく、新たな評価を検討するという記事です。その見出しが「不登校の新たなる評価に期待、不登校の小中学生に寄り添った学習計画」というものです。不登校の新たなる評価とは?不登校に寄り添った学習計画とは?具体的例事表記はありません。新たな評価学習計画ができたら、不登校の子どもたちが学校へ行けるようになるのでしょうか。子どもたちが望んでいるのは、友だちと一緒に安心して過せるたのしい学校だと思うのです。評価や個別の学習計画ではなく!!
 そこで前、川崎の会で講演していただいた筒井潤子先生(都留文化大学教授、臨并心理士)の“こどもの不登校をどう理解すればよいのか”から、もう一度紐解いてみたいと思います。
 はじめに、筒井先生は
「今の子どもたちは、何に、どんなふうに傷ついているのだろうか。私が思っているのは、かすり傷の蓄積みたいな傷のつき方をしているのでは」と提案しています。何が原因か分からないけど学校へ行けない子どもたちは「どうして学校へ行けないの」と聞かれても「ウーン分からない」と自分自身で分からず、でも何か答えなければいけないと思い、友だちとか、勉強とか、クラスのこととか、給食とか苦しまぎれに理由を言うのですが、そんなことで不登校になるのはやっぱりダメな子という見方をされることが起きるのですが、虐待とかいじめとか何か大きな原因があるときは、体の傷にたとえると、何針も縫うような切り傷や骨折など、親が見ても分かる傷の不登校だとしたら、自分でも原因の分からない悪者のいない不登校はかすり傷の蓄積であって、ひとつひとつの傷はたいしたことはないし、そのくらいならすぐ治る傷かもしれないけど、そんなかすり傷が積み重なって、何か全身についているという不登校もあるのではというイメージです。そのかすり傷は何でつくのか、その原因はひとつではないのです。ある女の子はおなかがグーと鳴る音を笑われたらどうしようと思って教室へ入れないのです。おなかが鳴ることが心配で頭が一杯になるのです。それに似た心配は誰にでもあるのですと話しています。
 そんなかすり傷みたいな傷の蓄積、心配事が積重さなって学校へ心が向かなくなった子どもたちに「どうして、なぜ」と問うても答えられない子どもたちがいます。たとえ不登校の子どもの原因を無気力、無関心というワードでくくったとしても、無気力、無関心な不登校の子どもは一人もいないと 思っています。学校へ行きたいけど行けない自分を前に自問自答する毎日に悩んでいます。たとえ昼夜逆転している子どもも心の中ではどうすればと葛藤している子どもです。
 そして筒井先生は最後に「ストレスや矛盾のなかで、ほどよい応答がずれ、失われたかすり傷がいっぱいつく状態がまん延している気がします。そういう状態の中で子どもは理由も言えず苦しんでいるのです。長い間についたかすり傷ですから、そのひとつひとつにバンドエイドをはって指でなでてあげるような地道なことでしか、傷は癒されないのでは。そんなかかわりの中で、子どもは大丈夫と自分から言えるときがくると思います」と結んでいます。私も子どもを信じていいと思っています。親が自分の味方になってくれたと思ったとき子どもは前を向けるようになると思っています。
 子どもが不登校になるとどの親もどうしたらと悩みます。でも、子どもは親以上に悩んで、ダメな自分と責めています。学校へ行きたくても行けない自分がいます。そんなときは、親の声は子どもには自分を責める声に聞こえることが多いのです。言葉ではなく、ゆっくりと見守ることが大切だと思います。そして安心できたら、どうしたいかは自分で考える力はどの子も持っているのです。(以下の文を紹介します)
知識ではなく
へーエと思える感動。気づき。体験。驚き。などの体験を
自分から、じゃあこれをやりたいと、自分から好きなことを見つけること
そして親は自然を見る目、心を育てること
とくに小さいうちは当り前を疑ってみる心を
知識は覚えても必要がなくなれば忘れてしまう
 自分のやりたいこと好きなことは、親が決めるのではく、子どもが自分で決めることです。信じて応援し続ければ、自分の好きなことやりたいことを見つける時は、きっと来ると思っています。
信じて待つりです。いつか子どもは、自から動きだす時は来るのです。
2025年4月下旬 竹内春雄