【コラム】2025年12月 “子どもとともに”
2025年12月の竹内先生のコラム(お手紙)です。
竹内先生の自筆版はPDFファイルを参照下さい。
今回は“子3人が不登校経験、見守る人・時間必要”という記事の紹介から始めたいと思います。(2025年9月1日朝日新聞の記事から)
絵本作家 鈴木のりたけさんには高2長女、中2の長男、小6の次男がいます。3人とも小学校から不登校を経験しました。
「長女は今通信制高校に通っていますが、小2で学校に行かなくなったときは思い悩みました。僕は会社を辞めて、グラフィックデザイナーになって、絵本作家になった。道を切り開いてきた経験から、学校が人生にとって良いものなのかという思いがあった。「行った方がいい」と心の底から言えないのに『行きなさい』と言うのはつらかったですね。長女はどんどん無口になっていった。『自分が学校に行かないから親がつらそう』と責め苦を感じていたのだと思います。フリースクールに行き始めてから長女も笑うようになりました。長男は、小学校は10日ぐらいで行かなくなり、次男は1日も行かずフリースクールに通っています。」….
「僕は絵本を通じて、『世の中は面白いよ』と伝えたい。汗水垂らして付き合うだけの価値のある奥深き愛にあふれた世界ですよと。面白い世の中と向き合いたいという気持ちを持つためには、やりたいことをやれる環境や興味があることに費やせる時間、見守る大人が必要だと思うんです。好きなことが分からない時は“待つ”。でも、今の社会のシステムで、できるかというと、難しいですよね。小1になったとたん集団生活が始まる。幼稚園までは自由で先生が同じ目線に立ってくれるのに、小学校では、先生は忙しそうで目線も上からになる。」【今はそれが幼稚園から始まっています。 プレ1年としてのしつけが行なわれています。】….
「子どもたちには、こう伝えたいです。「原因はあなたがどうしようもないことが多いし、あなたのせいじゃないことを大人たちは分かっている。だから『病むな』と」…..
「お父さん、お母さん自責の念にかられることはありません。」と….
鈴木さんの言っている「世の中は面白いよ。」と伝えたいと。そして、3人の不登校経験「見守る人・時間必要」というタイトルをつけています。そして長年、子どものやりたいことをやれる環境や興味のあることに費やせる時間と、見守り、好きなことが見つかるまで“待つ”という鈴木さんに共感しました。そして、好きなことが見つかるまで“待つ”という親の心はちゃんと子どもに伝わって自から行動を起すときがくるまで待ったのです。そのことを人生80年僕が子どものことで悩んだのはそのうちのたかが4、5年ですと書いています。子どものことを“信じて待つ”ことの大切さを語っていると思いました。そして最後に「原因はあなたのせいじゃない。だから『病むな』」というメッセージで結んでいます。その通り、どんなことがあってもあなたを信じているよという気持ちはきっと子どもに伝わるのです。そして、自分のやりたいことで動きだす時が来るのですと私も思っています。
次の事例は不登校になった本人、小説家の金原ひとみさんの記事を紹介します。「金原さんは子ども時代を『地獄だった』と話しています。周囲になじめず、小・中学校はほぼ不登校。救いになったのは小説を通して見える外の世界でした。」と。「幼稚園から休みがちで反抗的な子どもでした。学校へ行けという母とは、時々つかみ合いのけんかをしていました。」と。「児童文学者の父は学校に行けとはいわない人でした。頑固に『行かない』と決め込んだら、そのうち母もあきらめの境地に。中学校も数日、高校は数ヶ月で中退しました。」と。「学校の空気と、その中にある全てがいやでした。固定的な人間関係、同じ時間に同じ場所に通うルーティン」……「周りの子どもとあまり話ができませんでした。誰かが誰かを好きとか、子どもっぽいと小馬鹿にしているところがありました。」「小5の頃から小説を読み始め自分で書くように。小説には、それぞれに世界があって、読んでいる時は別の世界を生きられる。「現実の世界が唯一の世界」という感覚がなくなることが救いでした。」と【金原さん にとっては小説が唯一安心できる好きな世界だったのでしょう。】
「こうして他人を受け入れられるようになったのは、これまでの自分をかたくなに守ってきたからでもあるんです。子どものときに適応を強制されていたら(親から)精神は持たなかったと思っています。」 「不登校の状態って、外の世界に目をやりづらく、精神も閉そくしやすい。そんな時は、日記でも、SNSでもいいので何かを書いてみてはどうでしょうか。(金原さんの好きなこと) 絵や音楽でもいい。アウトプットするうち自分の輪かくが見えてくる」と語っています。「つらい時は自分が理解不能な存在に感じることもあるでしょう。でも世間に合わせて、あいまいさを否定するのは、結局は、自分の首を絞めることになる。ぼんやりとしていても、そのままの自分の形を認識する(自分の好きなことを)それが生きやすさにつながると思います。」とまとめています。
☆鈴木さんの場合「長女はどんどん無口になり、自分が学校へ行かないから親がつらそうと責め苦を感じている」と書いています。金原さんの場合は「学校へ行けという母とつかみ合いのけんかをしていた」と書いていますが、子どもは学校へ行かなくてもいいと思っている子は一人もいないのです。行かなくてはとガマンしてしながら行っているのですが、あるとき、どうしても「行けなくなる」のです。「どうして」と問われても、たくさんあり過ぎて、自分で分からず説明できないのです。そんなときは、その子のすべてを受けとめてあげることが大切だと思います。親が自分を受け入れてくれると安心できたら、子どもはまた、前を向いて動きだすのです。自分の好きなことに向って。「待つ」ことが大切です。
2025年11月 竹内春雄
